資料

ことば


芝居のうちでも、もっとも現代を呼吸し、そして芸術的純度が高いのが、新劇である-----吉田文五

芝居のうちでも、もっとも現代を呼吸し、そして芸術的純度が高いのが、新劇である。感心したら感心したで、また、腹を立てたら腹を立てたで、問題が一ばんにはねかえってくるのは、自分自身である。他の芝居にはこれがない。それだけに広島演劇鑑賞会の存在は有難い。
生れて一年になるというが、お祝いの言葉とともに、ぼくの方からもお礼がいいたい。
ぼくば、芝居を見ながら、ふと、歴史を感じることがある。いささか大袈裟な表現かも知れないが、そうとしか言えない。やはり、歴史である。
演劇を鑑賞することによってえた、何かの精神的なものは、ぼくたちのそれ以後の、物の考え方、行動、そんなものをひっくるめた生活のバネになったり、ブレーキになったりする。それもやはり人間の歴史につながっている。
そんな、歴史を感じる。

(広島演劇鑑賞会機関誌1961年4月10日第6・7合併号「おめでとう!そしてお願い」より 吉田文五・日本放送作家協会員)


観終わってから、重荷を卸し謎を解いたような好い心持ちになるようなものでなければならない-----小山内薫

この間の君の手紙に、僕は「演劇は娯楽でない」と言ったのに対して、「併(しか)し苦痛だと言うのでもあるまい。」と言って来たのは、御尤(ごもっとも)な質問だ――君ばかりではない、大分方々からそういう詰問(きつもん)が来た。
僕は娯楽的快楽と芸術的快楽とを別けて說いたつもりだ――演劇は娯楽的快楽を供給すべきものではない、芸術的快楽を供給すべきものだと言ったつもりだ、快楽は等しく快楽でも、芸術的のそれは娯楽的のそれほど、暢気(のんき)なものでないと言ったつもりだ。
僕の先輩にTS氏という人がある。先達(せんだち)この人が僕に言うには――
今の芝居を見ている内は大層面白いが、芝居が済んで、外へ出てから何とも言はれぬ無理な厭(いや)な心持ちがする。これからの芝居は、見ている内は苦しくても、厭(いや)な気がしても、芝居が済んで、外へ出てから、何か重荷を卸したような謎(なぞ)を解いたような好(よ)い心持ちになるようなものでなければいけない――
僕のいう苦痛とは、畢竟(ひっきょう=結局)この後者の如(ごと)きものを言うのだ――荷を卸す前の苦痛だ、謎(なぞ)を解く前の苦痛だ。だから芸術的快楽を娯楽的快楽より苦しいものだと言うのだ。
(小山内薫「俳優D君へ」明治41年12月28日)


宇野さんが歌った「泰山木の歌」ぼく覚えているんですね……ぼくは当時、一観客としてあれに感動した-----木村光一

ほかに面白いことはいくらでもあるじゃないか。でも何か、「聞いてよ」っていうことがあるんですよ。何が言いたいかというと、「ちょっと、このままではまずいんじゃないんですか、こんなことしていては」ということが、どこかにあるんですよ。それは反時代的という言葉で括れるけれど、そういう姿勢を持ち続けようと思うんですね。

例えば、宇野さんが歌った「泰山木の歌」ぼく覚えているんですね。それでこの間の旅

の忘年会で歌ったんです、みんなで。ぼくは当時、一観客としてあれに感動したんですよね。ああいう感動とは何なのか。すると僕らは芝居人として何か出来るんだなって。さっき言った新劇人とは一体何なのか、というのはこんなことなんじゃないかと… … 。

<>やりたいことというのは、どこかでぼくらの次の生活、ぼくらの未来、について語れるかということですが、それには観客はついて来てくれそうにもない。そんなことじゃなくて、「もっと楽しませろや、笑わせろや、やってごらん」という要求にうろたえてしまう……。

(新劇団協議会30年史「討論 新劇の原点を問う」1986.7.28より。木村光一発言)

ひと晩ウレシガリたいために新劇観には行きませんでした。何か掴みたかった。-----木村光一

若い人に観せるような芝居をやらなくちゃいけないという声をよく聞くけど、僕は若い人って何だと考えた時、彼らに語りかける方法は何か、てっとり早いのは彼らの思考に合せればいいわけですよね。ミュージカルとか、音楽があって激しいもので… … たとえば「血のしたたるような今を」なんて。そんな醜悪な「今」なんて叩きつけても仕様がないじゃないか。となるんだけど、ぼくらは若い人に語りかける言葉をなかなか掴めないんですよ。ぼくの年のせいかも知れませんが。

「かもめ」の話が出ていましたが、「かもめ」はまさに青春の芝居ですよね。あの頃ぼくらは「あれは面白い芝居だ」なんてウレシガリませんでしたよ。でも感動したんです。ひと晩ウレシガリたいために新劇観には行きませんでした。何か掴みたかった。しかし、今は「楽しませろや」という横柄な観客を目の前にすると、君らとは話合いたくない、と言いたいけれど、やっぱり、違う方法がないかなと探そうとします。時代が青春を失っていて青春のムードは何もないのかも知れない。若いけれども彼らには青春がないって感じがするんですよ。

(新劇団協議会30年史「討論 新劇の原点を問う」1986.7.28より。木村光一発言)


鑑賞者が高まることが創造の水準を押し上げることも一般的な真理である-----土屋清

今日ほど創る側と鑑賞する側、専門家とシロウト、中央文化と地方文化、運動と技術といった区別が截然としている時代はないのではないか。そしてそれが私たちの民主的な文化運動の中にまで常識のようになっている時代はないのでないか。鑑賞、批評が創造の重要な一翼であることは芸術一般の中でも自明の理だし、鑑賞者が高まることが創造の水準を押し上げることも一般的な真理である。まして我々は文団連である。鑑賞団体もあれば創造団体もある、大衆的な文化運動も参加しておれば、専門文化団体もいる。芸術創造に関しては全くの素人もいれば、独立の専門家もいる。それらが、それぞれの立場から一体となって新しい文化を創り出して行こうとするのが我々の運動であり、これは文団連のような組織だからこそできることであろう。

(1981年、広島県文団連・文化講座にて。土屋清)


演劇鑑賞運動は、新劇運動から影響を受け、自主的で対等平等な文化運動の灯をともし続けてきた

「この50 年の歴史はけっして平坦な道筋ではありませんでした。全国の演劇鑑賞会が、日常的に例会を創り上げることを通じて日本演劇の民主的な発展を願い、劇団とともに「車の両輪」として鑑賞運動の歴史を築いてきたのです。」(1ページ)
「演劇鑑賞運動は、けっして直接的な政治変革をめざす運動ではありません。しかし、時の権力に屈せず自らの暮らす時代と社会に自覚的であろうとした新劇運動から影響を受け、自主的で対等平等な文化運動の灯をともし続けてきました。この50 年を振り返ってみても、私たちの運動は、芸術文化の提供・享受ではなく、自ら必要な経費と力を持ち寄りその意思があれば誰でもが参加できる演劇文化の構築を模索してきました。それは、演劇という芸術文化の発展と同時に、鑑賞者もまた演劇を支え発展させる重要な存在である事を明らかにしました。」(2~3ページ)
(2012年11月「全国演劇鑑賞団体連絡会議 第40回定期総会討議資料」より)


「どんな芝居なら当たるか」ではなく、「今、何を語るべきか」と考える-----斎藤 憐

昨年、現代の日本で3K仕事を担っているブラジルの日系人の出稼ぎの芝居を書いたら、「楽しくなさそうな芝居だ」と敬遠された。

もちろん、同じ農村の芝居でも「ワーニャ伯父さん」や「桜の園」だったら、話は別だ。

英米の労働者階級の芝居、テネシー・ウィリアムズやアーサー・ミラー、アーノルド・ウエスカーやジョン・オズボーンの芝居だって、日本製だったら観にきてもらえない。

僕たちは商業演劇の作り手ではないから、「どんな芝居なら当たるか」ではなく、「今、何を語るべきか」と考える。

もちろん、僕たち演劇人も資本主義制度の中で生きているのだから、お芝居を作って食べていかなければならない。それが今、どんどん難しくなっている。

一反の土地で野菜を作るのと、量産体制の工場で製品を作るのと、どちらが儲かるかを考えると、おそろしく手間のかかるこの演劇という奴は効率が悪いのだ。

 

(俳優座公演『春、忍び難き』パンフレット「初めての体験」斎藤 憐(2005年)より抜粋)